歴史に学ぶと先が見える
2016/04/09
昨晩は三重県と釧路市との経済連携を目的とした三重フェアが釧路プリンスホテルであり、松阪牛や伊勢エビな三重県の食材を使った料理食べて、BGMのバンド演奏もしてきました(ベースを担当)。その前段で北海道の名付け親で三重県出身の松浦武四郎に関する講演を聞く機会がありました。釧路短期大学の佐藤宥紹教授の独特の語り口の名講演に惹きこまれました。
松浦武四郎はペリーの黒船が現われた頃の幕末から明治初期にかけて、当時まだ未開の地だった蝦夷地(今の北海道)に6度渡り、各地をくまなく調べて回った探険家で莫大な情報を見聞し文書に残しました。釧路川や石狩川などの大きな川沿いに内陸まで入り調査記録したのは武四郎が初めてだった。で、釧路が石炭や硫黄などの鉱山資源、材木、さらに水産物などの食料資源が豊富で釧路川を擁し流通の結節点になり得る絶好の地であるという情報を幕末の混乱期の中で財源が豊かな鍋島藩(今の佐賀県)に情報を流し、投資進出を呼びかけます。それに応えた佐賀から石炭技術者を送り込んだりして今日の釧路の発展につながったとの事。なんだか壮大なスケールの話ですが、まぎれもなく松浦武四郎の行動力が伊勢から遠く離れた未開の地だった釧路の未来のスタートとなったのです。結局、この武四郎の北海道に関する詳細な情報が明治政府に渡り、その後の日本の殖産興業の資源基地としての北海道が日本の発展の基礎となったのです。
佐藤教授の素晴らしい語り口の話を聞いていて、何故武四郎が後半生をかけて6回も北海道に単身渡って調べまわったのか、分かるような気がしました。武四郎は当時の長崎にも出入りしていて列強が植民地競争でしのぎを削る国際情勢の中で日本の置かれた状況について精通していた。今後の日本にとって北海道の資源なくして国づくりはあり得ないと見通していた。北海道が宝の島に見えた。北海道を巻き込んでの日本の発展の姿が見えていたのだと思う。そんな途方もなく偉大な先人の事を聞かされて、今の僕らに必要なのは、きちんと正確な歴史を勉強した上で、一から将来を見通す作業を行い、未来への投資をすること。そんな事を誰一人として何一つしていないから釧路の低迷があるのじゃないかな~と思った。まず自分がやらんとね。佐藤先生の授業、聴講しようかな・・・。
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