あの頃
2016/04/07
今日は日曜日。記録的な少雪が続いていた釧路ですが、やっと雪がまとまって降り、朝から雪かきでした。
今朝、フェイスブックを見ていたら藤村正宏師匠のタイムラインに福井良トリオのMELLOW DREAMがリンクされていました(画面をクリックして出来れば聞きながら読んでもらえると嬉しいです)。このアルバムが出たのが80年前後だと思いますから、あれから35年も経ったんだな~と気付きました。僕には福井良トリオと言えば、ある特別な想いがあるのです。
福井良トリオは70年代後半から80年代に札幌のジャズ界で中心的な存在でアルバムも数枚リリースしています。福井良(Piano)、伝法愉(Bass)、福井良則(Drums)のピアノトリオで、35年前の演奏も今聞いても溌剌としたプレイで凄い人たちだったんだなぁ~と思います。今でも福井良さんは札幌でプレイを続けていますが、ベースの伝法さんは亡くなり、良さんの弟のドラマー良則さんはドラムを叩くのをやめたと風の噂で聞きました。
実はドラマーの福井良則さんには随分お世話になったのです。当時、札幌のJAZZライブハウスの「びーどろ」に自分も何回か出ていたのですが、そこで良則さんと出会い、4ビートじゃなく16ビートのバンドをやりたいので一緒にやらないかとエレベの僕に声をかけれらたのです。福井さんとやるということはプロで演奏するという事。丁度大学を卒業して音楽でメシを食って行こうと思っていた時期でした。もの凄く厳しい人でストイック、ビートが違うと何度も何度も直させられました。
朝から晩までメトロノーム相手にリズムの間隔だとかニュアンスだとかずっと考える日々。プロって厳しいです。音楽が全て優先、当然収入も少なく食べれない。ミュージシャンの生活なんてそんなものです。でも腹減ってる分、音に対してもの凄く感覚が研ぎ澄まされるって感じです。
そんな僕に、ススキノのハコバン(ナイトクラブやキャバレーの生演奏で固定の店の専属バンド)の仕事の話があり、結局そっちに行ってしまった。福井さんには凄く反対されました。夜の仕事も結構長かった彼の経験から「乗山、夜の店はな、眠りながら演奏していても誰も気付かない世界だぞ。客なんか全く演奏聞いていないし、あんなところに行ったら人間ダメになっちゃうよ。絶対やめた方が良い。」でも収入もなかった僕は、この人は大げさに言っている、そんなひどくないんじゃないか、何事もやってみなけりゃ分からないしって思って、そこで働き出した。それで良則さんのバンドも解散した。
夜の店は、毎月給料は貰えるのは良いのですが、やはり福井さんの言った通りの感じでした。でも最初は譜面渡されて、ジャズからPOPS、演歌まで何でもやれるのが楽しくって、満足していました。でも慣れてきたら、微妙におかしい、メンバーも永年の演奏の癖が染み付いて、結構正しくない演奏をしているし、音に覇気がない、本人たちは気付いていないけど惰性が身に染み付いているってのが分かって来ました。
で、だんだん夜の世界が嫌になってきた。一度嫌に成り出すと、全てが嫌になってきて、そのうち自分の身体でリズムが全然取れなくなってしまった。結局、バンドリーダーに言って夜のバンドを辞めさせてもらったのです。(蛇足ですが、このリーダーは大塚博堂の大ヒット曲「めぐり合い紡いで」の作詞者でした)
僕はこれを境に音楽でメシを食うのを、きっぱりあきらめたのです。25歳でした。あれから30年の月日が経ちます。福井良トリオって聞いて、そんなことを思い出しました。いつものビジネスと関係ないテーマの話を最後まで読んでいただきありがとうございます。こんな時代が僕のその後にどんな影響を与えたのかを深く考えたことはありませんっていうか、ずっと心に封印していたのです。過去への旅路も時には良いかもしれません。
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今日もマーケッター藤村正宏師のブログで勉強しよう!
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