幕末のダ・ヴィンチ~松浦武四郎
2016/04/28
昨日、中小企業家同友会釧路支部主催で松浦武四郎講演会が開催されました。松浦武四郎の出身地である三重県松阪市より松浦武四郎記念館学芸員の山本命氏が「探検家松浦武四郎と釧路」さらに地域経済交流として松阪牛に関して地域コーディネーターの下村友恵氏が講演しました。
教科書的には「探検家」として知られる松浦武四郎が北海道、日本に残した偉業があまりにも過小評価されている事を再認識させられた講演会でした。
武四郎が生きた時代は幕末の開国から明治維新に至る大変化の時代、欧米列強の植民地にもなりかねない時代でした。28歳から44歳になるまで計6回、北海道を探検して回っています。探検といってもただ冒険して遊んでいたわけではなく、地形や地名を記録し当時のアイヌ民族の生活の記録を文章と絵で残しています。釧路は6回のうち3回訪れています。最初の3回は私費を投じて、その後大久保利通により政府に推薦され松前藩のナンバー3に抜擢され後半3回は政府の人間として探索しています。それは当時ペリー来航により日米通商条約を結び、北方はロシアの圧力により日露通商条約を結んだばかりという国防の問題もあったのです。これは今に至る問題、つまり北方領土問題と通底しています。日本政府としては当時のアイヌ民族の居住地を日本の領土と主張する戦略だったのです。ゆえに武四郎は今のサハリン、当時の樺太の中部まで足を運びます。武四郎を学ぶ事は現代に生きる日本人、北海道人として領土問題を考える上でも極めて重要なのです。
さらに武四郎は当時の北海道、特にアイヌ民族の生活の記録を数多く残しています。アイヌ民族は文字を持たなかったため民族史として極めて重要といえます。
松浦武四郎の北海道に関する地勢データが明治以後の北海道開拓の基礎となり物流、産業の中心が道央では石狩札幌、道東では釧路を中心に発展して行ったのです。
「北海道」北方にある、加伊(カイ=アイヌ民族)の住む、道(地域)を政府の役人の立場で命名し、さらに当時の国(今の振興局)名、郡名も、釧路という地名も武四郎がつけたものです。
自分の足でひらすら歩き、歩幅で図った歩測と懐中羅針盤というコンパスで方位を測りスケッチする。人々の生活を絵に描き、記録し、時に漢詩、俳句を詠んだ武四郎。自由な精神をもち当時の役人や商人に搾取されるアイヌ民族の人権養護を政府に訴えます。
24時間、365日生涯楽しく仕事を追求した男。
まさに幕末から維新に生きた日本のダ・ヴィンチだったのだと思いました。
複雑に絡み合う世界と日本。日本と北海道を形作る仕事をした武四郎を再度見直し勉強しなおす時期が来たのではないでしょうか?
乗山徹
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