ありがとう
2016/04/13
やっと父の初七日が過ぎブログを再開する事にします。
再開の最初の記事は父の事を書かせてください。今のタイミングでしか書けないと思うので。
12月3日は早朝から札幌への日帰り出張でした。前日の夜病院の消灯前に父の顔を見たのが最後になりました。朝出る時に妻にもし知らせが来たら俺の事は無視して病院に駆けつけてくれといったのですが、その言葉が本当になり帰路のJRの車中で病院から携帯に連絡が入り結局僕が父に会えたのは亡くなってから2時間後の事でした。
父はとても無口な人でいつもニコニコして人の話を聞きながら酒を飲んでいるだけ。とても地味な人物だったと思います。25歳で佐賀県から出てきて教職に付き定年まで勤めあげた後、老後は老人クラブの会長なんかもやりながら町内の人とも楽しく暮らしていました。老人クラブではもてていたのか(どうしても老人クラブは平均寿命からいっても女性の割合が圧倒的に多いそうです)葬儀に駆けつけてくれた婆ちゃんたちの多いこと多い事。オヤジの遺影に向かって「こりゃあいい男に撮れているねぇ」とか言いあってました。
今年の6月に食道ガンが見つかり、10月中旬に入院するまではたからは末期ガンだとは分からないほど元気にしていました。入院してからは最初のうちは車椅子でしたがどんどん悪化して最後は寝たきりになってしまいました。でも苦しそうな顔一つみせず、見舞いに行って目が合うとそれは嬉しそうにニコと笑う。その笑顔を見るために毎朝晩病院に行っていたようなものです。
最後に会った晩も同じように目が合うとニコっと嬉しそうでした。オヤジって凄いなと思いました。本当に人が好きだった。死に際まで微笑んでいられるなんて。良く分からないけど、人間って凄いなぁ、人間って捨てたものじゃない、こんな死に際ってあるんだなぁと思いました。
僕はオヤジと飲む酒が何よりも好きでした。自分からべらべら喋るわけでもなく、息子の話を酒を飲みながら嬉しそうに聞いている。そんなオヤジが作り出す空気が大好きだったのかもしれません。多分おやじ自身がそんな時はいつも嬉しかったのだと思います。おそらく僕だけでなく、友人、同僚、教え子、近所の人、多くの人々がそんな派手な事など何一つなく地味で穏やかで嬉しそうなオヤジと一緒に過ごす時間を愛していたのだと思います。
生き様も死に様も全てひっくるめて偉大なオヤジでした。死んでから気付くなんて遅すぎるよね。でもオヤジの後ろ姿を糧にこれからの人生を生きていけると思います。
オヤジ本当にありがとう。僕は一生懸命生きていきます。空に浮かぶ白雲の上からいつも見ていてください。
ありがとうオヤジ。
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乗山徹
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