出会い 別れ
2016/04/13
父の事でもう一文書く事をお許しください。
父が他界した翌日、生前親しくしていた方々で遠方に居られる何人かに電話で連絡しました。その中の一人で今は札幌に在住で父と同じ佐賀県出身で標茶町阿歴内(アレキナイ)の学校へ最初の赴任地としてやって来て生涯の友となった岩永重義先生に連絡がつきました。
実はこの阿歴内(アレキナイ)は釧路から今でこそ車で30分くらいで着きますが戦後の昭和20年代当時は交通手段も限られた山村で電気も通っていないようなところでした。
終戦後間もなく佐賀県からここに最初に移住したのが父とは6歳上の従兄弟にあたる乗山誠之(せいし)でした。戦後の混乱期を経て北海道では教師の数が圧倒的に不足いたらしく、まず自分の身内である妹乗山美奈子、従兄弟乗山和(かなえ)、さらに佐賀から教師志望の若者たちを次々に呼び寄せていたのでした。その中の一人が岩永先生で父の1年後に北海道のこの地阿歴内に足を踏み入れたのでした。
電話して父の訃報と葬儀の日程などをお話したら、岩永先生は
「何と不思議な事でしょうか。丁度退職教職員の会報から依頼されて自分が北海道に足を踏み入れて以後の歴史について執筆していました。その最初のくだりで北海道への第一歩はあなたの父、乗山和(かなえ)さんとの出会いだった。まさにそのシーンを思い出して和(かなえ)さん、どうしているかなと想っていた所でした。気の遠くなるような長い長い時間汽車に揺られて北海道釧路の地に降り立った。駅のホームに「佐賀県 岩永重義君」と大きく書いた紙を持って1人の若者が出迎えてくれた。それが和(かなえ)さんとの最初の出会いです。それから根室線に乗り換えて1時間ほど走り上尾幌の駅で降り、そこから徒歩で歩けど歩けど目的地に着かない。阿歴内(あれきない)にやっとつくと、丁度運動会をやっていた。乗山誠之校長が子供と同じ紅白の帽子を被って出迎えてくれた。なんと自由でおおらかな土地に来たものだと思いました・・・」
僕は電話口でこの話を聞いて涙が止まらなくなりました。岩永先生には葬儀の際に弔辞をお願いしました。
佐賀から阿歴内に出てきた教職員で天山会という会をつくり転勤して離れていても数年に1回は集まり一献傾け再開を喜び合ってきましたが一人欠け、二人欠けして父と岩永先生が残った。二人なら会と言えるけど、父が亡くなり一人になってしまい本当に寂しいとおっしゃってました。
前述した乗山誠之も今年10月28日に92歳で四国高松の地で永眠しました。僕の叔父で乗山(旧姓)美奈子の夫、高橋甚一郎も10月1日に83歳で他界。わずか2ヶ月ちょっと間に佐賀天山会の中心だった3人が次々とこの世を去りました。
完全に一時代が終わった感を強くしますが、多くの教え子たちが実はこの地域を形作っています。前別海町長の佐野力三さんは乗山誠之の教え子ですし、浜中町農協の石橋組合長は岩永先生の茶内時代の教え子だという事が葬儀の時に分かりました。乗山和の子である僕も頑張らねばと思います。
偉大な先達を偲びながら、感謝、合掌。
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乗山徹
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